中国人は優秀と言われる人〔有名な学校で優秀な成績を修め、共産党の青年団などに属している人〕ほど利益ばかりを考えている気がします。それは中国は経済的には資本主義化していますが政治的、社会的には共産主義です。そのため全てのことにおいて共産党の幹部は大きな力をもっています。学校の中にも共産党の組織があり、成績上位者は共産党の青年団に属すので将来も大きな保障があります。このことが地位へのこだわり、自分は他の一般人とは違うという気持ちにさせるのではないかと思います。例えば自分たち留学生と付き合うのもこの人と付き合ってどんな利益があるか考えます、だから東財(dong
cai)〔東北財形大学〕に来て学生に「なかなか中国人の友達ができない」と言うと「ここは日本語を勉強している人が少ないから日本人と付き合う”必要”がある人が少ないんだよ」と言われました。必要とはどういうことかと驚きました!?友達に必要不必要という区別があるのでしょうか?
ある本科生の友達からも私は自考(zi
kao)〔大学入試に通らなかったような子がお金を出して学校に通って12個のテストに合格すると卒業証書がもらえるという日本にはないシステム。テストに合格して入学した本科生に比べ軽視される傾向〕の友達がいますがその人とは付き合わない方がよいと言われました。理由は私にすごく親切のようだが教養が少ないかららしいです。友達に教養があるないなんて関係ないと思いますが自分に利益が少なそうな人より利益が多い人と付き合った方がよいとアドバイスをくれたようです。もちろん私はそんなことにこだわらずお互い楽しいと思えて長い付き合いができそうな人と自分の時間を使いたいと思います。
私に言わせれば人の価値なんて将来どう変わるか分からないから現状だけでは判断できなく、自分に利益があるないなんてどうでもよいと思います。大切なのはどれだけ太いパイプがお互いの心を結ぶかではないかと思うのですが。。。もちろん価値を追及する人に言わせれば価値がなくなればその人を捨て将来価値が出てくればその時に交流を始めればよいと言われそうですが。。。
もちろん価値を追及する人は全ての人ではありませんが高等教育を受ければ受けるほど成績がよいほどそういう傾向が高いと自分の友達や経験上感じました。
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